青木夙夜 近世・近代日本画家

 江戸時代後期の松阪(当時は松坂)は、商人たちの活動によって経済的に繁栄したことから、多くの文人墨客が当地を訪れ、都の洗練された文化を伝えていました。
 文人画の巨匠池大雅、前出の曾我蕭白、書家の韓天寿、画僧鶴亭を初めとして、その例は枚挙にいとまがありません。
 近世松阪の文芸界でセンター的地位を占めていたのが、町の中心部にある岡寺山継松寺です。同寺には、そうした画家たちによる書画類が今も多数伝えられています。
 青木夙夜もこの継松寺とゆかりの深い画人の一人ですが、 彼の生涯には不明なところが多くあります。夙夜は京都に生まれたようですが、 生年は明らかではありません。 従兄弟の関係にあった韓天寿を頼ってしばしば松阪に滞在し、この地で没したようです。
 また夙夜は、 池大雅の跡を継いで2世大雅堂を名乗るなど、松阪だけではなく京都を中心とした18世紀後半の文化に少なからぬ足跡を残しました。
 画家としての夙夜は、師である池大雅から大きな影響を受けています。 彼の作品には大雅風のスタイルを示す山水画が 少なくありませんし、 大雅の作品模写をたびたび行っていたことも大雅と彼との深いつながりを示す証左といえるでしょう。
 夙夜の作品はさほど多くありませんが、現存する作品はいずれも、当時の最先端文化であった中国文化に対する強い関心を示すとともに、清洌で繊細な感覚にあふれています。

花卉図
◆花卉図(部分) 青木夙夜
 18世紀後期(石水博物館蔵)
気品あふれる優雅な描写を示す作品


ゆかりの地
 従兄弟にあたる書家の韓天寿が松阪市中町にいたことから、時折、天寿を頼って松阪に逗留していたという夙夜。松阪商人を代表する長谷川家や市内の寺社などに作長谷川家界隈品が伝来します。
 長谷川家は、古い佇まいの邸宅が今も魚町に残っています。松阪商人は、江戸店は従業員らに任せ、あるじは地元に残り、詩歌を作ったり絵画を観賞したりと文化的な暮らしをしていたようです。
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